崇めよ我は全知無能なり

※現無職なので遠くない未来に失踪します

暑いし本でも読もうぜ、読書の夏

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特に意味なし。
ホラーゲームを中心にプレイしているYouTubeチャンネルらしいです。

最近は某ウイルス依然に暑過ぎるので外に出ていません。
YouTube広告で、オー!マイキーから”家夏を楽しもう”と言われましたが、
そもそもあなたに言われなくても私の夏は毎年”家夏”です
旅先でも夏の昼間(特に東南アジア圏)は暑過ぎるので、ホテル内でグダグダしていました。
後、オー!マイキーを少しディスりましたが、私は結構好きですよ。
トニーとチャールズの毒舌の掛け合いが面白いんですよ。主人公のマイキーが毎回の如く酷い目に合わされるのも不条理コメディとしての完成度の高さを感じます。
もしMattの広告がオー!マイキーを採用していなかったら、
Mattの広告が流れる度に、モニター画面をカチ割っていたと思います
あはははは。
あはははは。
あはははは……

まあ、オー!マイキー的には高笑いしておけば話のオチがつくので、この話はここらへんにしておきましょう。

ともかく暑いしコロナとなれば外に出る気などさらさら起きません。
Netflixも半年ぐらい前から需要が高まりましたが、映画ばかり視るのも単調な気がしてきます。
そこで、八十年代SF小説の傑作”ブラッド・ミュージック”を再読しました。

ブラッド・ミュージック (ハヤカワ文庫SF)

ブラッド・ミュージック (ハヤカワ文庫SF)

 控えめに言ってですね。
え? どういう部分が神かって?

自分で読め。

口調が荒くなってしまいました。好きな作品にはどうしても感情が入ってしまうもので……
しかし”本を読む”ということにハードルの高さを感じてしまう人も多いことでしょう。
そこで、最近私が読んだ本を三百字~五百字ぐらいで紹介していきたいと思います。
あ、申し訳ないですが”ブラッド・ミュージック”の紹介はしません。

自分で読め。
面白いから。

では、始めていきましょう。
というか敬語やめよう。めんどくせえ。

では、始め! 

ウィトゲンシュタインの愛人

ウィトゲンシュタインの愛人
この小説は、”ウィトゲンシュタインが提唱した哲学を人類崩壊後の世界をベースにして、それをテキスト化するとどうなるか?”というもの。
こんな説明で読む奴いるわけねえだろ、馬鹿。
失礼。
もっと単純・平明に読めるものだ。
ウィトゲンシュタイン”とか”哲学”という単語を一旦忘れて欲しい。

・概要
主人公は一人の女性で、アメリカのどこかの海辺に暮らしている。
しかし人類はとうに滅亡しており、彼女は唯一の生存者だ。ただひたすら過去を思い返しながら、タイプライターで日記を綴り続けている。
ポスト・アポカリプスものの作品は常に絶望感が漂っているものが多いが、この作品は明るい。

それはカミュ異邦人における”太陽”のような、狂った輝きにも似ている。
何年も、何年も時が経つにつれ、彼女は徐々に錯乱していく。それが老化による健忘症なのか、孤独による狂気なのかは分からない。彼女は自分の年齢すら曖昧にしか思い出せなくなっているのだから。
物語を読み進めるにつれ、意識の昏迷状態はどんどん進行していく。
過去も現在も、まともに認識出来なくなっていく。
それでも――この作品は明るい。
陽に照らされた浜辺のごとく、清々しいほど明るいのだ。
その明るさと美しさを、海風のように感じ取って欲しい。
この作品を読むことで。

次!

ファイト・クラブ〔新版〕 (ハヤカワ文庫NV)

ファイト・クラブ〔新版〕 (ハヤカワ文庫NV)

説明するまでもないだろうが、超有名映画”ファイト・クラブ”の原作小説。
概要はすっ飛ばさせて貰う。どんな物語かって? どうせ知っているだろ?
代わりに、この小説をより楽しく読むためのオススメの読み方を教える。
まず映画版のファイト・クラブを視る。
それから小説版のファイト・クラブを読み始める。
物語の展開はほぼ同じなので、文章を読んでいるだけで勝手に映画のシーンが脳裏にフラッシュバックする。それこそデヴィッド・フィンチャーが仕込んだサブリミナルのように。ただしページを読み進める度に、映画を視ただけでは味わえなかったような感覚を覚えていくようになる。
それは、主人公の”心理”と”思考”だ。

映画という媒体はどうしても心理描写を表現しづらい。この小説は映画では描き切れなかった主人公の心理状態をより濃厚に書き明かしてくれる。読み終わった後、主人公に対して今まで以上に共感できるようになるだろう。
さらに言えば”同調”していくような感覚も味わえる。
ファイト・クラブの”掟”に。
よりタイラーの掟を、人間の奥底に潜む潜在的な破壊衝動を感じ取れるようになる。
この小説はファイト・クラブという映画をより濃密に感じ取れるようにしてくれる作品だ。
最も、原作は小説側なのでこの表現は少し間違っているが。

あ、破壊衝動とか言いましたが、このブログは犯罪を助長する目的で書かれたものではありません。
念のため。

次!

カンデル神経科学

カンデル神経科学

おい、誰が読むんだ?
医学生しか読まないだろ?
頭おかしいのか?
ちゃんとした医学生か、頭の螺子がトチ狂っている人のみご購入をお勧めします。

次!

鬼滅の刃 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)

 

鬼滅の刃 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)

この世に数多と存在する、鬼滅ファンたちに謝りたいことがある。
ごめん。
全巻読んだが、俺は楽しめなかった。
何で面白いと感じられなかったか? ということを記事にして纏められるぐらい、この漫画には作品としての――というよりも週刊少年ジャンプが長らく抱えている問題点を露わにしているものに思えた。
この作品のクオリティは決して低いものではなく、むしろ高いものだと認識しているが――ひとつだけ言わせて欲しい。
数年後には、この作品は忘れ去られているだろう。

こんな零細ブログにコメントが集中することはないだろうが、
「何でだよ! 何が面白くなかったんだよ!」
的なコメントがもし来たならば、それについてはきっちりとした文章にして語らせて頂こうと思う。

次!

『源氏物語』完結記念 限定箱入り 全三巻セット

『源氏物語』完結記念 限定箱入り 全三巻セット

あ、買ってはいないです。
読んだってことです。原文で。
一言でいうと、死ぬかと思った。
森鴎外源氏物語を”悪文”だと否定的に批評していましたが、
これは悪文というより、呪術書です。
元来、言語というものは時を経るにつれて明晰化・具体化していくものです。
そして源氏物語は”かな文化”の始祖とも言える作品です。つまり一つひとつの言葉の意味が混じり合って分離していないんですよ。
例えば源氏物語で”夜”という単語が出てきた時、それは単なる現象としての夜ではなくて、”密通”とか”夜這い”とか”霊的な怪異”とか、二層にも三層にも至る複合的な意味を持つんです。それが文法も成熟していない中世日本語として表現される時、主語・動詞・接続詞等の品詞が入り混じり過ぎて、最早時空が歪んでいるような錯覚を覚えるんですよね。
正直フィリップ・K・ディックを読んでいるような感じでした。この感覚は原文でしか味わえません。現代日本語では表現不能です。

何か敬語にした方が文章にしやすかった。
理由? 知るかよ。
読みたきゃ読め。

次!

フシダラ~妻が不倫をする理由~ ( 1) (ニチブンコミックス)

フシダラ~妻が不倫をする理由~ ( 1) (ニチブンコミックス)

あー……
源氏物語と似たような内容だった。

次!

塚本邦雄全歌集 文庫版〈第1巻〉 (短歌研究文庫)

塚本邦雄全歌集 文庫版〈第1巻〉 (短歌研究文庫)

再読。というか昔は塚本邦雄の歌集を手に入れるのが難しく、水葬物語や装飾樂句を読みたければ全集の第一巻を買うしか方法がなかった。無論全集系の本はお値段が優しくないので、図書館に行って塚本邦雄全集を借りまくり、そのうちの一巻を物理的に破壊するほど読み込んだ。
歌人でもない自分が何故あそこまでハマり込んだかを、説明するのは難しい。
”革命歌作詞家に凭りかかられてすこしづつ液化してゆくピアノ”という一句がどれほど革命的な短歌であったかを説明するのも難しい。
一つ言えることは、塚本邦雄寺山修司がいなければ短歌という業界は脳死していたということだ。その後に俵万智穂村弘が出てきたが延命措置にも近い。
短歌はいずれ死ぬ。
いや、もう死んでいるかもしれない。息をしているようには思えない。
昔、知り合いとの付き合いで短歌サークルの見学に行ったが、頭蓋内圧亢進症で爆死してくれねーかなと思うような痰壺以下のク〇野郎しかいなかった。”窓越しに 女のハダカ ペ〇ス勃つ”みたいな一句を平気で吐きやがる。そもそも短歌は五・七・五・七・七の形式だし、俳句は五・七・五+季語だから、このペニ勃ち一句は川柳ということになる。
この一句を意気揚々と披露していたあいつの脳天にディルドーをぶっ刺してやりたかった。そうしたらもう少しマシな一句を詠んでくれただろう。
そんなクソみたいな思い出と、本ぐらいしか楽しみがなかった青春を思い出せる一冊だった。

次! ……といいたいところだが、今日はここまで。
意外と楽しかったので、シリーズ化するかもしれない。