崇めよ我は全知無能なり

※現無職なので遠くない未来に失踪します

俺と愛バが辿った軌跡~ハマっていたんだよ、ウマ娘~

 

 先に言っておく。タマちゃん、実装おめでとう。



 そして前回の記事で真女神転生Ⅴの人修羅をボコったの話をするといったな?

 あれは嘘だ。
 
 あの後、試走がてら人修羅と何度か再戦してきたのだが、その結果”五回ボコった”が”十五回ぐらいボコった”に変わってしまった。
 流石にエンドコンテンツの向こう側に到達してしまったという感慨を覚える。そもそも人修羅戦は数々のメガテニストたちによって凶鳥族・霊鳥族等の専用スキル”呪毒散布”を使えば本来なら一、二時間ほどかかる長期戦となる人修羅戦を三十分前後まで短縮できるとか、魔獣族の専用スキル”逆境”を使えば四ターンぐらいで勝てるというのが数々のメガテニストによって発見されている。
 まあ”逆境”を使って瞬殺する方法は最低でも150時間前後ぐらいの事前準備がいりますがね。
 だから真Ⅴに関してはDLCがさらに追加されるまで再プレイは待つことにしようと思う。もしあれば、だが。

 ATLASさん、真Ⅴの追加DLCを出してくれると本当に嬉しいです。もっと鬼畜難易度にしてください。

 あと「まだ人修羅勝ててねえ!」という人がいたら解説記事を書くことはできんことはない。面倒臭いのでやらんが
 少なくとも、これから「真女神転生Ⅴをプレイするぜ!」される予定がある人は”鬼女族クレオパトラ”が人修羅戦だけでなくストーリークリアにおいても非常に強力な悪魔だというだけ伝えておく。

 ”裸体を晒した回数が最も多いゲームキャラ”というギネス記録があるなら確実にクレオパトラが一位でしょうね。全裸になるだけのスキルが何であんなに強いんだよ!!!!!

 ともかく、今回は真Ⅴの話ではなくウマ娘の話をすっからな。
 ちなみに「何でウマ娘についての記事を書きたくなったの?」という話なのだが、今日はウマ娘が月一で開催している大会”チャンピオンズミーティング(通称チャンミ)”の決勝なんすよ。
 で、このチャンミは上級者・初心者関係なく参加できるし、自分も何度も参加してきたのだが、

 今回は出走登録すらしてねえ。燃え尽きたんだよ、トレーナーとして。

 ただ燃え尽きる前は色んな思い出があるんだよ。ウマ娘たちと共に刻んだ沢山のレースがあるんだよ。

 語らせてくれよ。ウマ娘

 だから語る。しかも俺がウマ娘というゲームのハマった最初の馴れ初めからな。
 
 
 ※~第一章、馴れ初め~ 廻転式三角木馬トレーナー、ウマ娘の地に立つ

 事の始まりは四月頃。最早「ネットニュースを開こうものなら”ウマ娘”とのワードを見ない日はない」、と称しても過言ではない時期。
 ただ、この頃の自分は元々ソーシャルゲーム自体に興味がない。まどか☆マギカを源流とする”マギアレコード”やDOD・ニーアシリーズを手掛けた横尾太郎氏が手掛けた”SINoALICE”は少しプレイしてみたいと思ったものの、設定集やユーザーたちの考察動画やブログを観覧しただけで知識欲が充たされてしまい、結局プレイすることはなかった。
 そして空前の『ウマ娘(および競馬)ブーム』が吹き荒れていたなか、当時の自分がウマ娘に下していた評価は――何と最低に近かった。
 競馬そのものが嫌いというわけではなかったが、海外渡航中にギャンブルの経験歴がそこそこある自分にとっては”控除率が悪過ぎるギャンブル”としか見ておらず、競馬に対しての情報も”ディープインパクトという馬がすこぶる強かった”ということぐらいしかない。
 だが”最低”の評価をくだしたのは、以下の理由だ。

 「また擬人化モノのゲームかよ? 何でもかんでも美少女化しとけばいいってわけじゃねえだろ! 艦これの亜流を量産してんじゃねえ!」

 ともかく”一過性のブーム”としか見ておらず、同じ競馬ゲームだったらダービースタリオンWinning Post で事足りると思っていた。特にダービースタリオンに関してはファミコン版を意外と女神転生悪魔合体とシステムが近いとの理由でプレイしたことがあり、「ソシャゲで競馬ゲームをやる必要なくね?」というのが自分の見解だった。
 だがある時、実機の生配信でウマ娘をプレイしているのを視聴する機会があった。もちろんウマ娘が競馬ゲームである以上、実際のレース風景も見ることになる。
 
 そしてレース風景を見た瞬間――俺の脳内に電撃が走った。

 「レース中のウマ娘たちの駆け引き、さらに最終局面にさしかかった時の緊張感溢れる競り合い……! 今までの競馬ゲームではこういった”臨場感”を出してくれるものはなかった。まるで”娘”なのに本物の”馬”を見ているかのようだ……!」

 とどのつまり”ゲーム性がかなり高い”ということに気付いた。いくら美少女を出そうとゲーム自体が面白くなければ売れもしないし、”ゲームは良くプレイするけど競馬には興味がない”といったゲーマーを顧客として引き込む要因にはならない。

 流石にこの瞬間にて”最低”の評価は完璧に覆った。これは神ゲー認定していいだろう、と。もっと言うならば「よし、今から一度プレイしてみよう!」となってもおかしくない……のだが、ここで自分はウマ娘をプレイするのではなく、何故か競馬そのものの歴史に関する文献を漁り始める。
 本来、競馬史は軍事史とかなり関りが深い。関りの深さ自体は知っていたため、ウマ娘に興味が産まれた瞬間に何故か俺の脳回路は軍事史への興味に繋がってしまった。
 
 具体的な説明は省くが、一応”軍事史としての話題”には触れておく。ウマ娘の話するんじゃねえのかって? 今は軍事史のターンなんだよ!!!!

 元々、競走馬として使われる”サラブレッド”を含めた外国産馬が多く輸入され始めたのは日清・日露戦争以後のことだ。つまり明治時代中期~後期まで遡る。日本原産種の馬は山間部の多い土地を走るのには向いているが、ユーラシア大陸等の広大な平地を走るにはスピードと馬体の頑強さが足りない。それを重く見た日本政府が外国産馬を大量に輸入し始めた。無論軍馬用の種馬としての利用を前提としたものである。
 同時に『より強く・”より速く走れる』馬を見定めるため、日本が欧化政策を行っている際に行われるようになった洋式競馬のシステムを借りて”優駿”を定めるレースを積極的に開催し始めた。さらにさらに当時の政府は新たな外国産馬の購入資金を集めるために”競馬の賭博性”を国営的に黙認し続けた、という過去がある。
 このことについてはゴールデンカムイでも少しだけ触れられている。漫画だと七巻、キロランケが八百長競馬を持ち掛けられる辺りの話だ。

kamuy-anime.com アニメだとこの辺り。
 ちなみにあくまで”黙認”なので”公認”ではない。この”黙認にするか・公認にするか”については政府側でもかなり多くのいざこざがあった。ゆえに”競馬の賭博性が完全公認になった経緯”まで記述しようとすると第二次世界戦前後まで話を進めないといけない。今回は割愛する。

 はい、軍事史のターン終わり。
 
 まあ、ウマ娘よりも軍事史の方に興味を強く示している時点で、あの頃の俺はまだウマ娘を純粋に楽しもうとしてはいなかった。これにはちゃんとした理由がある。ウマ娘は日本で生産されてきた馬が避けては通れない予後不良や廃用処分、日本政府の軍事的な目論見などのブラックな話題を消臭してしまっていると感じたからだ。
 それは競馬を深い理解があるクリエイターを製作陣に組み込んでいたとしても基本的には触れることはできない。ウマ娘のコンセプトはプレイ前から分かっていた。先程、自分は”控除率の低い賭博”としてのイメージが先行すると記載したが、賭博ではある以上一般的な社会観におけるバッドイメージは付きまとう。
 ”史実で活躍した競争馬”をモデルにしている以上、”軍事史”まで触れる必要はないがある種のノンフィクションなのには変わりない。もちろん、ノンフィクションだろうとフィクションだろうと面白ければやる価値がある。
 ウマ娘は分類的に”ノンフィクションを元にしたフィクション”だろう。史実の馬がなしえなかった偉業を辿らせることもできる。ただしダビスタのようにちゃんと育成した馬が予後不良安楽死処分をされたり、馬主が借金を負って廃業したりするという”無慈悲な現実”を感じることができなかった。
 だから最後の最後まで”やろう”とする気が起こらなかった。”フィクション”が好きだからこそ、”嘘”は見たくない。実際の馬が辿った悲劇を”美少女擬人化ゲーム”として脱臭しているだけだったならば、”ゲーム性は良いがやる価値なし”と判断していただろう。
 
 四月末~五月頭までの俺は、競走馬たちがもたらした幾多の感動をまだ知らなかった。
 「オグリ一着! オグリ一着! スーパーホースです、オグリキャップです!」を知らなかった。
 「トウカイテイオーだ! トウカイテイオー、奇跡の復活!」を知らなかった。
 「七馬身差の衝撃、ナリタブライアン」も知らなかった。
 沈黙の日曜日、淀を愛した孤高のステイヤーももちろん知らなかった。

 それでも知識欲はあったので、そういった馬が残してきた伝説に関する記事は多数目を通していった。だがウマ娘もプレイしようと思うには不十分だった。先程言ったマギアレコードやSiNoAliceをプレイしなかった理由と同じで、何らかの知識を充たした時点で自分的には満足してしまう。
 本や文献を読むよりもゲームをプレイする方が労力を必要とする。それでもゲームをプレイするためにはそれ相応の理由がなければならない。ウマ娘に関してはノンフィクションを元にする以上、そのなかでフィクション化された何かが過度な”脱臭”を受けているのなら、プレイする必要はなかった。

 それが杞憂だったことがプレイ後に分かった。最近ウマ娘に追加されたメインストーリー五章、”サイレンススズカ”のエピソードは完全なるifストーリーだが、史実とは真逆の展開を取り入れつつ、プレイヤー納得させる仕様になっていた。
 これには脱帽した。良いゲーム体験を与えてくれた、と。                                                                                                                                                                                                               

 ただ、自分が「やっぱりウマ娘をプレイしてみよう」と思ったのは、もっとしょーもない理由だ。
 それは二期アニメを視たからとかそんなことではない。何ならアニメを視た後でもまだプレイすることを渋っていた。
 プレイする理由になったのは、こいつだ。
 

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 不沈艦。白いの。ウマ娘宣伝大使(自称)。
 ゴールドシップ。通称ゴルシ。史実ではGⅠ六勝と明らかに名馬と呼べる素質の持ち主だが、現役競走馬時代のエピソードのネタが多過ぎることで有名になった。

 史実のゴルシのエピソードに関しては、ウマ娘効果でとんでもなく有名になったので、こで説明する必要はないだろう。だが自分は”萌えキャラ”とか”美少女キャラ”に強い興味を示すことがあまりない。
 だが”ウマ娘のゴルシ”もとても好きなキャラクターとなった。というか、”好き”というのは”like”でも"love"でもなくて、なんというか……
 
 「こいつif世界の俺なんじゃないか……????」という強烈なシンパシーを抑えることができなかった。

 こういう書き方をすると俺がヤバい人に見える。だが仕方ない。元からヤバい人に見えているかもしれないし。ただ史実の競走馬・ウマ娘内のゴルシの両方を見ていて「あ……これ、俺だ……俺がやる行動だ……」と感じてしまい、ゲームのダウンロードを終えた後、
 
 そこから狂ったようにゴルシのみを育成し続けた。
 
 ということで、そこから半年ぐらいはちょくちょくプレイしていたウマ娘の歴史は、俺が如何にゴルシと接してきたかの歴史になる。
 ゴルシが好き、というより自分の生霊を見ているような気が何回かした。あえて女神転生の人修羅を引き合いに出すと、人修羅は”自分の人格を構成するレベルのゲームの主人公”で、ゴルシは”変則的な自分のドッペルゲンガー”というような……

 怖い。何か俺は今、変なことを書いている気がする。怖いし予想以上に文量が多くなったので、何度か章を分けて話す。

 ところで今日は聖夜クリスマスだが、明日は有馬記念があるので、興味のある人は一年の締めくくりの祭典として見て下さい。

 終わり、終わり、今日は終わり!
 
 怖いから終わり!


 ※余談
 上記の名馬を全然知らなかったのにもかかわらず、自分はウ”ハイセイコー”だけは知っていた。理由は寺山修司の”さらばハイセイコー”という詩が関係している。
 寺山修司は競馬好きで知られ、馬主になったことすらある。そしてハイセイコーの引退の際に前述の詩を残した。”振り向くな 振り向くな 後ろには夢がない”というフレーズは聞いたことがある人も多いかもしれない。この詩は”夢”という単語が多用されているが哀愁と虚しさ――そして薄氷のような危うい希望が入り混じるような名詩である。当時の競馬界はお世辞にも品行方正とはいえず、荒れた鉄火場だったと予想できる。そのような空間に”詩”としての側面を見出した寺山修司の詩才は特筆すべきだろう。
 そして寺山修司は”十九年振りのクラシック三冠馬”こと”ミスターシービー”が皐月賞を勝った時のレースを実際に見ており、シービーに関するエッセイを書く予定もあったらしい。たがその後一カ月も経たないうちに、寺山修司は青年時代に患ったネフローゼを原因とする肝硬変と敗血症によってこの世を去ってしまった。
 彼がもしシービーの三冠を目撃していたら、どのような文章を残しただろうか? またひとつ名句が産まれたかもしれないと考えると非常に悔やまれるところである。

 また、ウマ娘で頻繁に使われる標語”Eclipse first, the rest nowhere.(唯一抜きん出て並ぶ者なし)”のEclipceの元ネタである、イギリスの競走馬”エクリプス”も知っていた。
 何故知っていたかというと、寺山修司と縁の深い”塚本邦雄”という歌人がおり、「彼(寺山修司)の競馬好きは良く分からないが”Eclipse”という競走馬がいるようだ」とエッセイに残していた。そして「(要約すると)”日蝕”を意味する言葉を馬名にするセンスには惹かれるものがある」とも記載していた。
 そしてその記述を読んでしまった俺も「Eclipseって命名センスめっちゃかっけぇ!」となってしまい、RPGとかでカタカナ名を求められるときは”イクリプス”と付けることが多い(wikiでは”エクリプス”表記だったが、恐らく塚本邦雄のエッセイには”イクリプス”と書かれていたので)。
 最後に”中二病的な勢いで使い始めた名前を未だに使っている”というしょーもない話をしてしまった。まあこれがオチってことで。