”物を創る”というのは、どういうことなんだろうか。
十六歳の頃、バンコクに居る頃に”小説家”を志した。
十九歳から二十代前半まである事務所を出入りするようになり、”物創り”とは何たるかを教えてもらった。
そして独立した後、物書き一本で食うことの厳しさを思い知り、
二、三年前、すべての仕事を擲って――上海に逃亡した。
無論、貧困に喘いだが故の行動ではない。貧困ならば海外に行けるわけがない。
物書きであることを捨てたら、急に金銭面が潤沢になっていった。
だが金があることは――時に金がないことよりも苦しく、虚しい。
自分は生きる目的を失い、上海に向かった。
理由は特にない。一番近かったからだ。
到着したのは午前三時頃。
中心街の”南京東路(ナンジンドンルー)”に到着したのは、午前四時頃。
それから、朝陽が差し込んできた。
素晴らしい朝陽だったが、心は動かされなかった。
どうせなら金が尽きるまで放浪し――”異郷の鬼”になってもいいかと思っていた。
無論、この頃はコロナなんぞ流行はおろか名前すら出ていない。そりゃあ二、三年前だからな。
変な緊張感もなく、割と自由だった。
目的もなく、何となく行きたい方向へと適当に場所をほっつき回った。
これは豫園老街(イーユァンロウジィエ)、上海の土産・買い物スポットと称していい。
見た目的には清代の中国を連想させ、半ば繁華街に近く、いつも多くの人で賑わっている。ただし――言うまでもないが中国四千年の歴史とやらは”文革”で滅び去っているので、ここに歴史的な価値はほとんどない。
自分は歴史的なものも最先端のものも含め、諸々に興味がある。こういう”人こそ賑わっているが、文化的には形骸化している場所”も含めて、自分は中国本土のことが嫌いではない。むしろ好きと言っても良かった。
……流石に、今はとても行こうとは思えないがな💧
ただ、古代中国の歴史的美術品・宗教的遺物を見たいのならば、中国本土に行くことはお勧めできない。香港・台湾に行くか(香港に行くのは、コロナ依然に政治的にも今はマズいが。上海の十倍はお世話になった場所なので、哀しい限りである)、各国の博物館等に行った方がいい。何なら日本でもいい。確か”大阪市立美術館”に製造年数的に中国で二番目に古い金仏物が遺されているのではなかっただろうか?
日本は飛鳥文化の時代にさまざまな中国文化を取り入れた。その際に色々な仏像も渡ってきた。
中国本土より他の諸国の方が、中国の歴史を語ってくれる”遺物”が遺されている。
こればかりは仕方がない。保全を守らなかったのは中国そのものなのだから。
アンビバレントなことを言うが、それも含めて嫌いではなかったけどな。中国。
中国に関しては政治・経済・現地での特異な体験を含め、様々な面から語ることが出来るが……何せ情報が多過ぎる。
俺如きの人間でも、語り切るには一冊どころか二冊、いや三冊は必要となるだろう。
それぐらい、2020年の現代社会に影響力を及ぼす”大国”だ。
中国とはどういう国なのか?
そもそも、”俺”が逃亡を余儀なくされた理由は一体何なのか?
これも語り尽くすには時間がかかり過ぎる。
日を追って話していきたい。
”ゲーム機が空を飛んだ”の話よりも複雑な問題が多いのだ。
待たれよ。