前回記事の上海の話と時系列的に逸れるので、今回は完全な雑記。
香港は今、どうなっているんだろうか。
一番滞在した日数が多い海外はバンコクだ。
二位が香港。しかも自分の力(金銭力等)で滞在していた。
香港デモが発生した時は、精神的にかなりきついものがあった。
何故なら香港には自分の意志で行き、一・二カ月程度でも”滞在した”という経験がある。
ガキの時分から転勤族だったので色んな場所に連れて行かれたが、香港は違う。
自分の意志で長らく居続けた場所だ。
勝手に言わせて頂くが、第二の故郷ぐらいの感覚がある。
九龍島も香港島も、地図が無くてもどこに何があるかは大体分かる。
今やあのウイルスの脅威にも晒されているだろう。
最早ニュースを見るのも辛い。
一番最初に香港へ行った時はそれこそ親父殿が一緒だったが――あれはノーカウントでもいいような気がする。
どちらかというとマカオに行くのが目的だったからな。香港は余り見て回ることができなかった。
その数年後、自分の意志で香港に向かった。
個人的にはこれが初めての”香港への旅”だった。空港から尖沙咀(香港市内)までタクシーを使った。
時は深夜、午前一時を回りかけていた。
市内まではそこまで時間はかからない。特に何か考えるわけでもなく、外を眺めていた。
そのまま香港中心部に入るための青馬大橋を渡り始めた時――俺は思った。
なんてこった。
友人もロクに居ない時の思春期の頃に阿呆ほど何度も観返しまくった、押井版”攻殻機動隊”の世界が、目の前にある。
海上に”イノセンス”のロクス・ソルス社が建っているように見えた。
写真に収めたかったが、無理だった。
あれは車内の窓越しに見られるものではない。自分の眼で見るしか方法がない。
そして橋の向こうには――死にかけた青春期の感情を喚起させる”都市”があった。
それから俺は、ウォン・カーウァイ監督の作品”夢見る惑星”で有名な重慶大厦の一室を借り、泊まった。
ポルトガル語しか喋れない謎の黒人。
家族でカレー屋を運営するネパール人。
そして重慶大厦の入り口の小売店で、夜番をしていた香港人の爺さん。
あの爺さんは広東語しか喋れないが、俺の顔を覚えてくれていたらしい。
一度、缶ビールをサービスに一本付け加えてくれたことがあった。
急な出来事に驚いて、「いいのか?」と日本語で聞いた。
爺さんは何も言わず、「気にすんな」とでも言いたげにジェスチャーをしていた。
人生で一番美味かったビールは、あの一杯だったんじゃないのか?
そう思えてならない。
香港デモからも一年近く経ち、コロナ問題が起き、
香港は今、どうなっているのだろうか。
俺は香港市民ではないから、多くのことを語ることはできない。
だが、事が落ち着いたら――もう一度行きたいと切に思う。
あの爺さんにビールのお返しをするために。